百聞は一見にしかず
「百聞は一見にしかず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)」は有名なことわざですが、続きの言葉があることはあまり知られていないと思います。
続きの言葉も合わせて知ることで、より理解が深まるでしょう。
ここでは「百聞は一見にしかず」の意味とその続きの言葉を紹介していきます。
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百聞は一見にしかずの意味
百聞は一見にしかずは、「人から百回聞くよりも自分で一回見た方が理解が速く正確である」という意味のことわざです。
ことわざなので戒め(いましめ)としての意味が含まれており、「何ごとも自分の目で見て確かめることが大切」という意味が込められています。
百聞は一見にしかずに続く言葉
百聞は一見にしかずの後には、「百見は一考にしかず」、「百考は一行にしかず」、「百行は一果にしかず」と続きます。
「百見は一考にしかず(ひゃっけんはいっこうにしかず)」は「いくら自分でたくさん見ても考えなければ意味が無い」という意味。
「百考は一行にしかず(ひゃっこうはいっこうにしかず)」は「いくらたくさん考えても、それを実行に移さなくては意味が無い」という意味。
「百行は一果にしかず(ひゃっこうはいっかにしかず)」は「いくら実行に移しても成果をあげなくては意味が無い」という意味。
まとめると「自分の目で見て考え、それを実行に移して成果に結びつけることが大切である」という意味のことわざとなり、全体的に韻を踏んでとても綺麗なことわざになります。
「百聞は一見にしかず」の由来は古代中国の漢詩で、そこには続きの言葉が記されていないため、続きの言葉は後世に付け加えられたものだと考えられています。
百聞は一見にしかずの使い方
- とても面白い映画だったよ。百聞は一見にしかずだから今度観てきなよ。
- 百聞は一見にしかずというから、実際に行ってみない?
- 実際に行ってみてすごく良く分かった。百聞は一見にしかずとはよく言ったものだね。
というように使います。
百聞は一見にしかずと同じ意味のことわざ
- 聞いた百より見た一つ
- 聞いた百より見た五十
- 聞いた百文より見た一文
- 聞いた千篇より見た一遍
- 耳聞(じぶん)は目見(もんけん)にしかず
などが「百聞は一見にしかず」と同じ意味のことわざです。
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